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2009年 3月5日
14:22

おばあが亡くなりました。
94歳でした。




6年前、おじいが89歳で亡くなった時に
後悔だけがひたすら残った。
その時、姉に言われた。



その分、これからおばあを労ってやればいい、と。



でも、結果的に全く労ることができなかった。
可愛がってあげられなかった。



薄情な孫でごめん。
謝っても謝りきれない。
だから、許して欲しい、とは絶対に言わない。



おばあの晩年は、私の度量の無さで
我慢、我慢の連続だった。



おばあはすごい経歴の持ち主だった。
大正生まれの母子家庭の7人兄弟の一番上だったのに
ひいおばあちゃんの意向だったのか
女学校まで出て、今で言うバリキャリだったそうだ。



のちに、おじいと出合って結婚して
子供を4人育て
育てながら自分の母親と、おじいの両親を
家で介護して見送った。



とにかく根性がある人だった。
ありすぎてたまに空回りして
意固地になってしまった時もあったけれど。
それでも、娘と孫を人一倍
おじいと2人して可愛がってくれた。




病院から

「 呼吸がおかしいから会いにきたほうがいい 」

そう、電話がかかってきた3月5日は
めずらしく、シフトの都合で私は休みで家にいた。
母と2人、大慌てで駆けつけた。



母は、おばあを見るなり泣いた。



意識がなかった。



母の次に、私はおばあの頭に抱きついた。
しっかり見ておこうと。
私には、おばあをこういう形で
見送るしかできなからと。



すると突然、母が叫んだ。




おばあちゃんの呼吸が止まってる。



急いでナースステーションに駆け込んで
担当医が来て



おばあは本当に亡くなった。



荼毘に付した後、
普通は長男の家に遺骨を持っていくのだろうけれど
私は母に、こそっと言った。



出来れば、うちにつれて帰りたい。



母は私の意向を汲み取ってくれて
長女である自分の家、
つまり私の実家に連れてくることが出来た。



こんなことしか出来なくてごめん。



おばあが息を引き取った瞬間から
ずっと私の背中に
おばあがくっついている感覚があった。



でも、1日経って朝起きたら
その気配は消えてしまった。



母にその事を話したら



おばあちゃんだって、行きたいところが
沢山あるんだよ。



そう、言ってくれた。



もしかしたら、もうおじいとお空で会ってるかもね。



そう、言ってくれた。



おじいはおばあが大好きだったから
きっと三途の川の手前で
おばあの手を取る為に待っていると思った。



思っていたら、
今、これを書いている今、
またおばあを背中に感じるんですけどー(笑)



おちゃめなおばあ。
かわいいおばあ。



薄情な孫だったけど
私はあなたが大好きです。
これからも、ずっと。



とりあえず、おじいとお空で仲良く暮らして。



もう、辛いことも
我慢することも
何もなくなったのだから。


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